映画『記憶にございません!』ある日突然、自分が総理大臣をやることになったら?

若い頃の理想を見失ってしまったビジネスパーソンにこそ感じて欲しい、三谷幸喜からのメッセージ

2019年9月30日
国民的映画監督の三谷幸喜が今回映画の題材に選んだのは総理大臣。しかも記憶を失った総理大臣! 着想のきっかけは「ごくごく普通の人間が、突然総理大臣になったらどうなる?」だったといいます。主人公を演じる中井貴一の悪戦苦闘は、若い頃の理想を見失ってしまったビジネスパーソンへのメッセージにもなっています。

『記憶にございません!』(C)2019 フジテレビ/東宝

 『記憶にございません!』は記憶喪失となった総理大臣・黒田啓介(中井貴一)を主人公にしたコメディ映画だ。

 監督は三谷幸喜。日本大学藝術学部在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成した三谷は洗練された喜劇を得意とする脚本家として高く評価される。テレビドラマでは『古畑任三郎』や『王様のレストラン』(ともにフジテレビ系)といったヒット作を連発し、映画監督としては1997年の『ラヂオの時間』以降、様々な映画を発表している。舞台同様、ウェルメイドな作品が幅広い世代から支持される三谷は、日本では少ない万人が楽しめる大衆娯楽映画を作り続けている国民的映画監督だと言えるだろう。

 そんな三谷が、今回映画の題材に選んだのが、総理大臣である。
 映画『清須会議』や大河ドラマ『真田丸』(NHK)のような時代劇や、ラジオドラマ制作の現場を面白おかしく描いた『ラヂオの時間』のような限定された空間でのシチュエーション・コメディを得意とする三谷だが、実は政治モノや社会派と言えるような作品も多数手掛けている。
中でも1997年のテレビドラマ『総理と呼ばないで』(フジテレビ系)では田村正和が演じる総理大臣を主人公にした政治コメディを展開して話題となった。
 とっつきにくい政治の世界を、笑えるエンターテインメント作品に仕上げる手腕は、三谷にしかできない偉業だと言えよう。

 ただ、三谷自身は『記憶にございません!』のパンフレットに収録されたインタビューの中で「僕が作るコメディって、パロディの要素はほとんどないし、風刺喜劇ではないんですよね。特に風刺は苦手。主義主張のために、自分の作品を使いたくないんです。だから今回も現実の政界を批判する気は最初からなかった」と語っている。

 なるほど、確かに本作にはパロディや風刺は見当たらない。劇中に登場するアメリカ大統領が、木村佳乃が演じる日系人女性であることからも明らかなように、現実とは少しズレた世界で話は進んでいく。
 タイトルの「記憶にございません!」こそ、1976年のロッキード事件の時の国会証人喚問で田中角栄の刎頚の友・小佐野賢治が口にして流行語となった言葉だが、昭和の流行語をタイトルにしている時点で、現在を反映しているとは言えないだろう。

 そもそも、総理の支持率が2.3%という時点で、ふつうだったら辞任するだろうと思ってしまう。もちろんこれは確信犯的な作りであり、その極端なシチュエーションこそが本作の笑いにつながっている。
 同パンフレットのPRODUCTION NOTESに収録された三谷の証言によると「ごくごく普通の人間が、突然総理大臣になったらどうなる?」というアイデアが、着想のきっかけだったと言う。

『記憶にございません!』(C)2019 フジテレビ/東宝

 総理の時の記憶を失った黒田は、政治家になる前の(理想に燃えていた)自分に戻っている。最初は秘書たちに連れ回され過密スケジュールの中で次から次へと押し寄せてくる仕事をこなすことに精一杯だったが、やがて自分の支持率が歴代最低で、妻と息子にも愛想がつかされていることを知る。そして、自分を見つめ直し、良き父、良き政治家、よき総理であろうと思い立ち、政界を牛耳る内閣官房長官の鶴丸大悟(草刈正雄)に戦いを挑もうとする。
 人生をやり直そうとする黒田の姿は、日々の仕事に追われて、若い頃の理想を見失ってしまった中年男性にとっては、我が事のように感じられるのではないかと思う。
 
 映画『ザ・マジックアワー』を筆頭に、三谷は何かを演じるうちに本気になってしまい、現実が逆転するという物語を繰り返し描いている。本作の黒田は記憶を失っており、過去の姿は国会で悪態をつく姿がテレビで流れるくらいだ。
 だからこそ観客は、記憶を失った黒田のことを、自分の分身のように思え、「ある日突然、自分が総理大臣をやることになったらどうする?」と考えてしまう。
その意味で総理大臣の立場を疑似体験できるシミュレーションゲームのような作品だ。

 確かに三谷が語るように、本作は政治批判でも風刺でもないのだが、結果的に政治の深いところに届いていると思うのは、この疑似体験性ゆえだろう。

『記憶にございません!』(C)2019 フジテレビ/東宝

 黒田は小学校時代の恩師を首相官邸に呼び、一から政治を学び直す。三権分立や憲法の三原則について総理の黒田が勉強している場面は、コミカルに見えるが、同時に「日本国憲法って、そんなに悪くないなぁ」という、素朴な発見を与えてくれる。

 『総理と呼ばないで』の最終回に総理が退陣会見をする場面がある。総理は日本国憲法の前文のさわりを自分の言葉で話した後、国民に謝罪した後、「政治はあなた方の手に届くところにあるのです」と語りかける。そして「みなさん、どうか諦めないでほしい。希望を持って欲しい。政治を見捨てないで欲しい。そうすれば、いつか必ずやってきます。理想の政治社会が」と熱弁する。
 おそらく『記憶にございません!』の根幹にあるのも、同じメッセージだろう。遠い存在に感じた憲法や政治が身近に感じられる映画である。

■映画『記憶にございません!』
全国東宝系にて公開中

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執筆者: 成馬零一 - ドラマ評論家
1976年生まれ。ライター、ドラマ評論家。WEBマガジン「ich」(イッヒ)主催。主な著作に『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の評論家』(河出書房新社)がある。
https://twitter.com/nariyamada
https://note.mu/narima01

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