<シリーズ>歴史的ハコモノで終わらせない! 地域の潜在資源の活かし方③

第3回「レアメタル級の偉人 “今、知るべき井坂直幹、その生涯と経営”」

2019年2月8日
ひとつのテーマにしぼって徹底取材する新シリーズ。地域活性化・まちづくりコンサルタントの水津陽子さんが全国各地に足を運び、地域創生の道のりをたどります。第3回では、埋もれたローカルコンテンツ資源の中でも、レアメタル級の偉人といえる秋田県能代市の「井坂直幹」から現代との関係を考えます。

井坂直幹が創設した秋田木材は東洋一の木材会社となり、能代を木都の名を冠するまちに発展させた

 近年、NHKの朝ドラでは注目の歴史ヒーローが誕生しています。2014年19年ぶりに男優が主役を務めた「マッサン」ではニッカウヰスキーの創業者、竹鶴正孝が脚光を浴び、2015年の「あさが来た」ではディーン・フジオカ演じる五代友厚が女性の間に一大五代様のブームを巻き起こし、朝ドラとして今世紀最高の視聴率を記録。現在放送中の「まんぷく」では日清食品の創業者、安藤百福が注目を集めています。

 朝ドラは経済効果も絶大。マッサンを機に起きたウイスキー・ブームは原酒不足を招くほど。一方、五代の方は銅像のほかは目立った観光コンテンツがなく、ドラマの終焉とともにブームも去りました。

 ただ地域ではこうした資源も多くは持て余し、発掘も活用もままならないまま、時に降って湧いた千載一遇の飛躍のチャンスも十分に活かしきれないのが現状です。そんな埋もれた資源の中でもレアメタル級の偉人といえるのが、かつて東洋一と呼ばれた木材会社を創設した井坂直幹です。

 今回は第1回紹介の能代市旧料亭金勇の企画展示のほか、記事末尾記載の参考資料を基に今、知るべき井坂の生涯と経営をお届けします。

ルーツ~福沢諭吉、大倉喜八郎が認めた、才と格

 井坂は前時代的な秋田の木材産業を近代化、秋田杉の名を全国に広め、木都能代の礎を築いた秋田県能代市の偉人です。

 その才能を最初に見出したのは「学問のすすめ」の著者で慶應義塾の創設者、かの福沢諭吉です。井坂は1860年水戸藩士の家に生まれ、貧しいながらも幼い頃から漢学に親しみ、茨城師範学校の校長、松木直巳のもとで洋学を学んでいました。

 そんな中、福沢諭吉に認められ福沢の書生となり、福沢邸に住みながら学費の援助を受けて慶應義塾で学びました。同本科一等を首席で卒業すると、福沢が創刊した時事新報社に入社。記者として編集や翻訳を担当、そこで大倉財閥創設者の大倉喜八郎に見込まれ、大倉の秘書となりました。

 その後、大倉が木場の木材業、久次米商店と共同で設立した林産商会の能代支店長として秋田に赴くことを懇願されました。

 青森のヒバ、木曽のヒノキと並び、日本三大美林に数えられる天然秋田杉は、16世紀末に豊臣秀吉の命で舟や橋の材料とされ、伏見城の改築や大阪城の建設用材として能代港から積み出したという記録も残ります。

 しかし明治半ば、多くの産業が近代化する中、秋田の木材産業は藩政時代からの古いしきたりに囚われたまま、山師が見積りや売買を支配。取引は料理屋や女郎屋でお茶代わりに酒を飲みながら行われ、勘に頼った見積りや契約不履行も横行。盗難や決められた本数より多く切るなどのちょろまかしは日常茶飯事でした。

 製材は家内工業の域を出ない木挽き職人の手労働で、切り出される木材の長さもまちまち。製品の品質は一定せず、市場の評価は高くありませんでした。木材を山から町まで運ぶ際は、筏に組んで川に流しますが無事港に着けば儲けもの、大雨で水かさが増すと海に流されてしまうこともしばしばでした。

 木材業に乗り出し、能代を訪れた大倉はこうした能代の慣行を目の当たりにして、「よほどしっかりした者でなければ、立て直しはできない」として人格者としても信頼のおける井坂に白羽の矢を立てました。

(左)井坂直幹の肖像 (中)天然の秋田杉〔写真提供/一般社団法人秋田県観光連盟〕(右)旧料亭金勇、木材産業を紹介する展示

 1888年そんな能代に井坂が赴任するとそれまでの野放図なやり方を全面的に見直し、山師とは完全に手を切って自ら検査や見積りを行い、木材の切り出しや運搬方法、製材の仕方などを改良しました。

 一方、こうした改革は多くの業界関係者や従業員などの反感を招き、様々な嫌がらせを受けました。赴任から4年ほどの間には、実に店舗や自宅などに5度の放火を受け、宴席で乱暴をはたらくもの、中には井坂を亡き者にしようと考えるものもいたといいます。

 途中には林産商会の解散やその事業を受け継いだ久次米が銀行経営に失敗し能代の木材事業から撤退するなど、幾多の困難に見舞われましたが、井坂は能代を見捨てることなく、秋田の木材産業の将来性を信じて自ら会社を起こし、自らが思い描く革新的な木材業の実現に尽力しました。

 その後、海外市場や木材産業に関連し電気事業や鉄工業にも進出、能代に初めて電燈を灯した人物でもあります。その功績と高潔な人柄は能代の人々から先生と称えられ、死後は御指南神社に神として祀られました。

異端の紳士経営~今に通じる革新性、百年前に働き方改革

 久次米から秋田の木材事業を受け継いだ井坂は1897年、資材調達を行う「能代材木合資会社」と板類の加工販売を行う「能代挽材合資会社」の2社を創立。それまで温めてきた製材の機械化に着手しました。

 実は井坂はすでに久次米時代、機械化に向け設計図や見積りを取り寄せ、本店に稟議も上げていましたが、会社との考え方の違いや資金難などで実現しませんでした。新たな会社を設立する際、井坂の考えに賛同してくれたのは意外にも能代港町の有力者たちでした。

 過去には能代で様々な嫌がらせを受けてきた井坂ですが次第に地域の信頼を得、イギリスから最新のボイラーや製材機械を輸入、据え付けは自ら辞書で調べながら行ったといいます。

 製材機械の導入によりそれまで粗悪だった製品は均質化が図られ、大量生産を可能とし、能代逸材のバラ板は全国の木材市場で高い評価を受け、優秀銘柄として知られるようになりました。

 1901年新たに「秋田製板合資会社」を創立。折しも日清戦争や日露戦争による好景気や1905年奥羽本線全通の波にのって売上を伸ばし、東北や北海道に限られていた出荷先も関東や関西、九州に広がっていきました。

 1907年には三社を統合し「秋田木材株式会社」を創立。約9400平方mの敷地に工場3棟、土蔵9棟など多数の関連施設、大小60台もの機械類を備え、国内に類を見ない規模となり、全国の主要都市に代理店や支店、工場を設置する東洋一の木材会社となったのです。

 井坂はまた海外から輸入した製材機械の修理や背の低い日本人向けに機械改良なども手掛け、後に自社機械を製造するメーカーに発展させたほか、電気業は東北や北海道で展開。1912年には大陸進出のため朝鮮に製材所を設立、台湾や韓国への輸出も果たしました。

 また従業員の福利厚生や労働時間の短縮など、今でいう働き方改革にも先んじて取り組み、従業員に安く米を提供する精米所や日用品を廉価で得られる購買組合、共済機能や退職金や失業保険の仕組みを作り、従業員の教育目的に私立図書館も開設。才能があっても進んだ教育を受けられない生徒に学資を援助する奨学金制度では47年間で200人を超える学生の支援を行いました。

 井坂の誠実な生き方や先駆的な企業家としての姿は、激動の世界に生きる私たちに多くのヒントを与えてくれます。本来なら日本屈指の経営者として全国でその名を知られてもおかしくない存在です。

 地域では朝ドラや大河ドラマの主役に何とかご当地の偉人を据えたいと売り込みに力を入れるところも少なくありません。ただ、どんな優れた偉人でも男尊女卑や何人も妾を持っていたような人物は特に今の時代、採用が難しいという話はよく聞きます。井坂は妾を持つこともなく、妻をさん付けで呼ぶなど、妻や子どもを大切にする家庭人としての魅力的な姿や逸話も数多く残ります。

 井坂はマッサンの竹鶴、まんぷくの安藤に匹敵するドラマと人格を有する逸材。まずは地元がその価値、可能性に気づき、評価を見直すことを期待したいところです。

(左)天然秋田杉を使った国指定有形文化財の建物「能代市旧料亭金勇」2階の大広間 (右)床の間

<参考資料>

能代市旧料亭金勇 企画展示「木都能代の父 井坂直幹展」
巖書房「文明の実業人-井坂直幹と近代的経営のエトス-」石坂巖編
二ツ井製材株式会社「秋田杉の物語」 http://www.sun-zeolite.com/ 

★関連リンク

★シリーズ「歴史的ハコモノで終わらせない! 地域の潜在資源の活かし方」

  • <シリーズ>歴史的ハコモノで終わらせない! 地域の潜在資源の活かし方 ①

    ひとつのテーマにしぼって徹底取材する新シリーズ。地域活性化・まちづくりコンサルタントの水津陽子さんが全国各地に足を運び、地域創生の道のりをたどります。3回にわたってお送りする今シリーズのテーマは「歴史的ハコモノをどう活かすか?」。第1回では秋田県能代市にある「旧料亭金勇」をフィーチャーします。

★水津陽子の連載

  • 熱海の奇跡! シャッター商店街を人気スポットに変えた戦略

    長らく低迷にあえいできた熱海が復活を遂げ話題となっています。1960年代には年間500万人を超える宿泊客で賑わった一大観光地でしたが、2011年には246万人にまで落ち込みました。しかし、そこからわずか4年、宿泊客数は308万人へ、奇跡とも呼ばれるV字復活を果たしました。その起点の一つとなったシャッター商店街の再生にフォーカス、”熱海の奇跡”を起こした挑戦とその戦略に迫ります。

  • 小売業から観光業へ進出!地元と連携し、新たな観光づくり

    京都丹後エリアでリゾート事業を展開する株式会社にしがきは7月、新感覚の体験型リゾートを謳う「シエナヒルズ」をオープンさせました。ここを拠点として、これまでなかった「地域ぐるみ」の観光開発で地域活性化、地方創生につなげようとするプロジェクトです。こうした試みが日本の新たなリゾートのモデルとなり得るのか注目されます。

  • 人口400人の離島が生き残り賭ける「着地型観光」

    兵庫県南あわじ市の離島「沼島」は淡路島の南東、紀伊水道に浮かぶ周囲約9.53kmの小さな島です。かつては「沼島千軒金の島」と称えられるほど繁栄をみましたが、近年は衰退傾向にあります。そんな中、2007年沼島で始まった交流人口拡大による地域活性化の取り組み。沼島の着地型観光は確実に成果を上げつつあります。小さな島の生き残りを賭けた挑戦を追います。

執筆者: 水津陽子 - 地域活性化・まちづくりコンサルタント
合同会社フォーティR&C代表、地域活性化・まちづくりコンサルタント。地域資源活かした地域ブランドづくりや観光振興など、地域活性化・まちづくりに関する講演、企画コンサルティング、執筆を行う。2014年地方創生法に関連し衆議院経済産業委員会に参考人出席。著書に「日本人だけが知らないニッポンの観光地」(日経BP社)などがある。

コラム新着記事