社長業は突然に。経営破綻をV時回復させた「ひとり親方」の覚悟

建設基礎工事「杭打ち」スペシャリスト集団、挑戦の先/恵比寿機工

2018年10月15日
いま、東京近郊では2020年に向けた鉄道関連の工事が盛んに行われています。電車の中から窓越しに見える風景で印象的なのは、狭い場所ながら太い鉄の杭を打ち込むダイナミックな重機の姿です。そんな特殊な条件をものともせず、日本の建設・土木業の優秀さを示す仕事を50年にわたって続けてきたのが、横浜にある「恵比寿機工株式会社」です。しかし、創業者の晩年に会社が経営不振に陥り、倒産寸前まできてしまいました。その窮状を救ったのは職人たちのリーダーであるひとりの職長でした。

「杭打ち」という建設基礎工事のスペシャリスト集団を率いる「恵比寿機工株式会社」代表取締役 髙橋健一さん。突然の事業承継の後、経営破綻から業績を見事V時回復させた

いま、東京近郊では2020年に向けた鉄道関連の工事が盛んに行われています。電車の中から窓越しに見える風景で印象的なのは、狭い場所ながら太い鉄の杭を打ち込むダイナミックな重機の姿です。そんな特殊な条件をものともせず、日本の建設・土木業の優秀さを示す仕事を50年にわたって続けてきたのが、横浜にある「恵比寿機工株式会社」です。しかし、現在にいたるまで順風満帆というわけではありませんでした。創業者の晩年に会社が経営不振に陥り、倒産寸前まできてしまったのです。その窮状を救ったのは職人たちのリーダーであるひとりの職長でした。恵比寿機工の2代目である、代表取締役 髙橋健一さんに話を聞きます。

会社倒産の危機から突然の事業承継へ

ーー建設基礎工事の「杭打ち」は建設・土木のなかでも特化した事業です。恵比寿機工は鉄道インフラ工事を中心にしたスペシャリスト集団ですね。

最近ですと、JR渋谷駅埼京線ホームを移設する渋谷駅改良工事で杭打ちを担当しています。ほかにもJR御茶ノ水駅や西武線の改良工事などもあります。重機マニアの方が、Youtubeで工事現場をアップしていますが、そこにはうちの機械も結構出ています。

JRや私鉄各社の鉄道インフラ整備に伴う軌道内杭打ち工事が中心です。そのほかに、大手ゼネコン現場での低空頭下狭隘地や高架下での杭打ち、障害撤去、既存杭の引抜きなども行っています。

ーー髙橋さんは6年前に社長を引き継ぎました。

約10年前、私は調布駅工事で総合職長でした。現場のリーダーです。現場では社長の権限を委譲されていますが、経営には一切関わっていませんでした。そのときすでに経営はまずかったらしいんです。会社は借り入れを返すのに重点を置いてやりくりをしていたようです。ちょっと返しては盛り返せばいい、というぐらいの考えだったんですね。私は先代とは血の繋がりはありません。「なんかあったら頼むよ」程度は言われたことはあったのですが、本気にはしていませんでした。

ーー引き継ぐ前はどういう経営状態だったのですか。

創業者である先代が機械好きで設備投資にお金をかけすぎたんです。特殊な機械を買って鉄道工事に集中させようとしていました。その結果、借り入れが膨らんでしまった。メインバンクの大手都市銀行への返済が滞ってしまい、その返済のために今度は地銀さんに借りる。自転車創業的になり、経営危機に陥っていたのです。

さすがにこれではまずいということになり、勧められて中小企業再生支援協議会(支援協)に応募しました。2010年のことです。支援協は、見込みのある会社は再生させる、ない会社は傷が大きくなる前に潰す、その見極めをする公的機関です。結果は、ニッチな分野での杭打ち工事という業態は「将来性はある」という判断が出て、支援してもらえることになりました。

でも、経営は一時よくなったところで、継続性がないとだめじゃないですか。社長は80歳、専務が70歳を超えていて、経営陣は皆、高齢。事業計画書を作成するなかには当然、事業承継も課題にはいっていました。

支援協から経営専門の先生が派遣されて、ご指導いただいていました。そのなかで、後継者は具体的に誰を考えているのか? という話が出ました。最初は私とは別の者の名前があがり、彼じゃないということでまた別の名前があがって、それも違う。まだいるんじゃないか? という段で最後に私の名前があがりました。

創業者はまだやる気満々だったんです。第三者が入らなかったら、事業承継はうまくいっていなかったと思います。

ーー髙橋さんにとってはあまりに唐突な話ですね。

職長をやっている最中でしたが、私も話し合いに加わるようになりました。1年目で1千万、2、3年目で年間5千万の債務を返していく事業計画書が承認されて再生はスタートしました。

私も再生委員のひとりとして会に出席はしているのですが、話が全然わからない。銀行とのバンクミーティングもちんぷんかんぷんでした。再生委員会は春に始まりましたが、経理担当だった専務が夏に体調を崩して会社に来なくなってしまったんです。引き継ぎは実質30分(笑)。

それで、金融機関の応対は私がやることになったんですが、最初は居留守をつかっていました。当たり前ですが、銀行は数字に厳しいじゃないですか。「月次は?」「利益は?」とたたみかけられても答えられない。当時の税理士はきちんとした月次は3ヶ月後にならないと出てこないし、私はずっと現場でしたから、数字のことは全然わからないわけです。

恵比寿機工の中心となる業務はJRや私鉄各社の鉄道インフラ整備に伴う軌道内杭打ち工事だ

6億円の連帯保証を背負って始まった社長業

ーーそんななかで、よく潰さずに会社を残せましたね。

1年目は6億円の売上げ目標だったんですが、結局4億6千万円でした。不要なものを省いたり、いらない借地を返したりしながら、なんとか黒字にしました。その年は利息だけ払って、翌年6ヶ月かけて1000万円を返済しました。

再生計画が2年目に突入するときに、社長の歳も歳だということでいよいよ事業承継の話が具体化してきました。しかしそこで問題になったのが債務6億円の連帯保証をどうするかでした。先代社長が連帯保証人になっていたのですが、私としてはそれを外したうえで事業承継したいとバンクミーティングでお願いしました。しかし「なに言ってるの?」と突き放されました。40年以上社長をやっている先代と家のローンを組んだばかりの会社員だった私の財産の比較表を出せと言われたりしました。そんなお金が私のどこにあるというのですか。

ーーその解決策はあったのですか。

弁護士さんに言われたのは、いまの日本の慣習だと先代の社長の連帯保証は外せない、次に社長となる人が連帯保証に組み入れられるのは仕方がない、ただ会社をうまく運営していれば回収を執行されることはない、というものでした。6億円の連帯保証を覚悟して社長を引き継ぎました。唯一よかったのは債務超過だったため株の評価額はゼロ円だったことです。

連帯保証は外せないまま、代表者の変更、つまり私が社長になりました。社長になって半年間はあまりうまくいきませんでしたが、その次の半年は会社の状況もわかるようになり、受注が増えてきました。再生計画2年目の目標、7億円の売上げにはわずかに届きませんでしたが、利益の見通しはたつようになっていました。

そのときでした。横浜信用金庫の支店長さんから「うまくすれば連帯保証を外せるかもしれない」という話をいただいたんです。当時、横浜信用金庫から借りていたのは8千万円ぐらいでした。メインの都市銀行から3.3億円。その次の銀行は1.4億円です。他にも2つの金融機関から合わせて2千万円。それを横浜信用金庫が肩代わりして一括で返すという稟議を通してくれたのです。いま思い起こしても涙がこぼれそうになるくらいありがたかったです。

ーー中小企業にとって地元の信用金庫の存在は大きいですね。

うちは債務超過の要注意取引先だったわけですからね。そんな会社に保証もなしに大金を出してくれました。そこからです、会社がよくなっていったのは。翌年は大きな事故があったのですが、それを乗り超えることもでき売上げ10億円の大台に乗りました。

鉄道インフラ関連以外にも、大手ゼネコン現場での低空頭下狭隘地や高架下での杭打ち、障害撤去、既存杭の引抜きなど、新たな領域にも業務を拡張している

会社再建は社員の育成とともに

ーー社長に就任してどんな会社にしようと思ったのですか。

私は35歳のときに家を買ったのですが、その時は恵比寿機工の社員ではありませんでした。個人事業主の常駐外注者、業界でいう「ひとり親方」です。社員のようで社員でないため、家を買うとき苦労しました。住宅ローンの審査では「日雇いか」といわれ、「なんだこの野郎!」と思ったこともあります。そんな苦い経験は自分が経営者のときには変えたいと強く思いました。

半分以上外注だった契約社員を4年前に全員、正社員にしました。当時、建設業界では言われ始めていたことですが、他より早めにやってしまおうと考えたんです。誰にとっても保証がないのは不安なことです。私も個人事業主だったときは不安でした。安心して働ける環境づくりをまず整えることが大切だと思っています。

ーー経営再建のなかで社員の待遇改善は大変だったのではないですか。

自慢できるのは、賃金を下げなかったことです。その分、削減できるところは徹底的に削減しました。使っていない土地は売却し、使い捨てだったワイヤーを再利用するようにしたりしました。

3年前からは賞与も増やしています。先代のときにも出ていましたが、餅代程度でした。就業規則もあるにはあったのですが、誰も見たことがなかった。そういうのもつくり直しました。有給休暇も100パーセント取るようにしてもらいました。

ーー髙橋さんのなかで経営マインドが生まれた、ということですね。

経営がおもしろくなってきたんです。自分で決めたことが社員の喜びにつながったり、社員の生活がよくなっていくのが、目に見えてくるようになった。30歳前で家を買っている社員は結構いるんですよ。

2年ほど前くらいから多少資金に余裕ができ、自社の機械の定期整備ができるようになりました。それまでは機械が劣化したり故障しても修理するので精一杯でほかに気が回りませんでした。故障が減ってきたことで見えてきたのは人材育成の必要性でした。うちの社員の半分は若い世代です。現場も整備も経験不足であることが顕在化してきました。人材育成に力を入れようと思い始めました。

昔は重機の運転技術は資材・重機の置き場で勤務時間外にいたずらして覚えたり、先輩が教えていました。でもいまの若者はそんなことは好みません。時間外に練習したらその分お金を払うようにすることで、練習量が増えて若い社員の技術は少しずつ向上していきました。

――社員教育という視点ですね。

支援協から引き続き、実務の先生は現在月に2回きていただいているのですが、1回は経営のアドバイス、もう1回は職長(リーダー)の教育にあてています。当初は私を早く経営者に成長させないと、ということで私だけに集中していたのですが、ある時「社長と幹部が現場から離れていっているように見えるよ」と言われたのです。このままじゃ下が育たない、と。そこで部長たちを鍛えるようにしました。いまはコンサルタントの先生の主眼は中間管理職の教育に置かれています。

企業向けのセミナーに通うようになってM&Aという手法があることを知りました。「会社って買えるんだ」と思ったのはいいのですが、他の会社を買収したらうちの誰かを送り込まないといけない。ふと考えると「そんな人間、うちにいないや」と思って(笑)。そこで次を担う経営者を育てていかないとだめなんだと気づいたのです。

ーー若い人や次の経営者に未来を見せようということですね。

それが私の仕事なのかな、とだんだん思うようになってきました。私が社長になる前の話ですが、先行きが見通せないという理由で有望な若者が辞めてしまうことがありました。いつまでも肉体労働を続けられるわけはないと考えたのでしょう。会社を大きくしてポストをつくっていかないと、そういう事態はまた繰り返すだろうと思うのです。

4年前から高卒の新卒を採用できるようになりました。初々しい若者が来るとうれしいのですが、その反面プレッシャーもあります。うちは65歳が定年だから40年以上ここで働く社員がいるわけですからね。だからこそ会社を継続させなければならない。

社長に就任して6年。経営再建とともに社員の待遇改善も行ってきた。「若い人の育成が私の仕事だと思うようになってきました」(髙橋さん)

会社をブランド化して、ワンアンドオンリーの存在にする

ーーこのところ、杭打ち以外にも業務を広げていますね。

事故の経験から、鉄道関係だけに依存する受注体制はリスクが高いと感じるようになりました。ではリスクを減らすにはどうすればいいのか? まったく別の新しいことを始めるのはうちのスタイルではない。ではいまの機械、装備でできることはないだろうか。杭打ちの逆、杭抜きはどうだろうかと。

ビルの建て替え・解体時に杭を抜くことをメインにしている会社があることを耳にしたのです。建て替えのラッシュが予想されていた頃のことです。駅の工事に特化している、狭い場所が得意だといううちの強みがビルの解体工事でいかせるのでは、とその時ひらめいたのです。

全国的な杭抜きの業界グループがあるのですが、「畑違いなのですが、入れてもらえませんか」とお願いしたところ、会社の業務内容審査を経て入会できました。グループのみなさんはみな勢いがある会社ばかりです。そこから世界が広がり、いまある仕事だけで満足してはいけないことに気付かされました。

――まるでテープの早送りのような経営者としての6年間です。

すべてがうまくいったわけではありませんが、人の巡り合わせに恵まれたのだと思います。私がすごいというわけではなく、助けてくれる人がいつもいました。ついていたということもあるかもしれません。

ーーしかし、努力する人にしかラッキーは訪れません。

夜中起きて考え事で寝られないことがあります。これでも細かいところに気が行く性格なんです。座右の銘ではありませんが、中学の卒業文集に書いたのは「己に厳しく、人には優しく」でした。そういう感覚はいまもあります。社長になってぐっと我慢するようになり、制度も変えてきました。やっといま方向性が見えてきました。

来年は創業50周年。「今後は恵比寿機工をブランド化していきたい」と語る髙橋さん

ーー今後の目標を教えてください。

10年計画を立てています。規模だけを追ってもうちのよさは出ないので、業種特化型で事業を拡大していきたい。大手ゼネコンさんとのおつきあいのなかでも、うちを知っているのは鉄道の部署だけなんですよ。現在の業務の延長線上にあるほかの部署、たとえば高速道路関連もできるはずなのに、コネクションがない。いまうちの営業部員に横展開をプッシュしています。特殊な業務内容ということもあり、これまでは待ちの営業だったんですが、これからは攻めの営業に方針転換したいと思っています。

ーー来年、創業から50年を迎えます。

恵比寿機工をブランド化したい。お客様から「恵比寿機工は違うね」と言っていただけるような会社にしたいと思っています。そのためには社員教育もしっかりして、いずれは黙っていても仕事が来るようなレベルにもっていけるようにがんばりたい。

この業界では個人名で指名される「スター職人」が必要です。社員全体の底上げをやって指名される人材を輩出することで初めて、恵比寿機工が本当の意味でブランドになるのだと思っています。

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執筆者: 加藤陽之 - HANJO HANJO 編集長
コンピュータ関連の出版社からキャリアを始め、カルチャー雑誌などの編集長を歴任。これまで数多くの著名人をインタビューしてきた経験を活かし、HANJO HANJOでは中小企業経営者の深く掘り下げた話を引き出し続ける取材の日々。

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