100年続く老舗建設会社の4代目は元テレビマン。伝統と革新で時代とあゆむ

社是を守り通せば、会社は続けていける/「三木組」

2018年6月7日
日本には数多くの「100年企業」があります。そこには底通する「何か」があります。今回ご紹介する株式会社三木組は、明治30年に福井県に創業、大正12年、横浜に進出し、昨年120周年を迎えた「100年企業」です。5年前に創業家から三木康郎さんが4代目社長として就任、元テレビ局員という新たな視点から会社の変革に乗り出しています。三木社長に話を聞きます。
会社の平均寿命を30年ととらえる説があるなか、日本には数多くの「100年企業」があります。100年続くためには、いくつもの理由があります。業種、会社の規模、技術力、革新性、時代背景などです。もちろん、すべての企業がすべて同じ条件であったわけではありません。しかし、そこには底通する「何か」があります。今回ご紹介する株式会社三木組は、明治30年に福井県に創業、大正12年、横浜に進出し、昨年120周年を迎えた「100年企業」です。5年前に創業家から三木康郎さんが4代目社長として就任、元テレビ局員という新たな視点から会社の変革に乗り出しています。神奈川県を代表する企業となった三木組ですが、そこに到るまでに何を大切にし、何を変えようとしているのでしょうか? 三木社長に話を聞きます。

株式会社三木組代表取締役社長 三木康郎さん。昨年創業120周年を迎えた老舗建設会社の4代目。前職はテレビマンという異色の経歴をもつ

「日本人気質」をおさえていれば、会社がなくなることはない

ーー三木組は100年を超えて、神奈川県の建設業界を代表する存在であり続けてきました。長く続いてきた理由は何だとお考えですか。

社是である「努力・誠意・技術・信頼」の四則を愚直にやってきたからだと考えています。社是を守り通せば、会社は続けていけます。私たちの社是に見る「日本人気質」をおさえていれば、どんな業界でも会社がなくなることはありません。

そして副業に走らなかったこと。つまり本業に専念してきた結果とも言えます。三木組では施工部門が営業も行います。現場がいいものを作ればリピーターが生まれます。私たちの強みのひとつは、リピーターのお客様が多いことにあります。長く続けてこられたのは現場あってのことです。

そういう意味で「社員が強み」と言い換えられると思います。社是を実行してくれる社員がいなければ、社是も生きてこないわけですから。

100年以上にわたり継承されてきた三木組の社是。「100年企業」になりえた理由は「社是を愚直にやってきたから」だと三木さんは言う

ーー三木康郎社長は4代目ですね。

祖父、父、兄と続いて、私で4代目です。5年前に兄の後を継ぎました。

ーー前職はテレビマンという異色の経歴です。

大学卒業のとき(1972年)にちょうど「テレビ神奈川(TVK)」が開局したのですが、そこに入社しました。40年後に三木組の経営を自分がすることになるとは思ってもいませんでした。

三木組の社長に就任するにあたって、自分のパソコンにまずインストールしたのが「建設用語集」でした。社内会議に出ないといけないわけですが、半年くらい何もわからなかった。建築業界を探してこんな経歴の社長もいないでしょう(笑)。

でも、テレビ局出身が幸いしたこともあります。建設業界とテレビ業界とではクライアントソースが違うので、新しい営業先を開拓できました。ローカル局ではCMも地元企業の社長さんと直接話をして制作しますから、よく知った間柄も多くいらっしゃいました。ただ、扱う金額はローカル局のCMとは比べ物にならないくらい大きい。予算も3億円くらいから始まります。初めのうちは、記載された「0」の数を数えてばかりいました(笑)。

昭和期に実際に使用されていた三木組の印半纏

明治30年、福井県敦賀市において、三木多助によって創業された三木建設。土木建築と鉄道工事の請負いから会社はスタートした。大正12年、関東大震災直後の横浜に進出した

「がんばって働けば未来はこうなる」と具体的に示すことが重要

ーー社長に就任して会社の何から手をつけたのでしょうか。

まず垣根を超えた「プロジェクト制度」を始めました。そこから出てきた提案のひとつが人事評価制度です。数値化を行い、その評価を給与アップにつなげるようにしました。

社長に就任してすぐ社員と話し合いを持ったときのことです。「ぼくの10年後はどうなるんですか?」と若い社員から質問をされたのです。残念ながらすぐに答えられませんでした。そのとき「がんばって働けば未来はこうなる」と具体的に社員に示すことの重要さを感じたのです。

当時を振り返ると、社員に不安が募っていたように思います。社内の空気も淀んでいました。「何が原因なのか?」ーーそれを「見える化」させないと社員の気持ちが晴れることはないように感じたのです。

ーー「社員の不安が解消された」と実感されたのはどんな瞬間だったのでしょうか。

会話をしたことのない社員同士が頻繁に話すようになってきたときですね。プロジェクトチームを作ったことで、部署間のコミュニケーションが活発になり、会社に対する意識が高まったと思います。

これまで財務の単語を(建設)現場の社員が知ることはありませんでした。しかし部署の壁を超えることで、どの部門の社員もその単語を共有して会社というものを理解するようになったわけです。

チームとして会社に提案が行われるわけですから、経営側もそれを信用しないといけません。提案のうちできることから順に実行していきました。そういったやりとりが続けば、経営側からも社員に対して遠慮なく話ができるようになります。

プロジェクト制度によって、社員全員が会社のことを考えられるようになったのは大きい。たとえば、景気が悪いときに「賞与を払います」と経営側が言っても「私たちの賞与も下げてください」という発言が出ることもありました。

本社がある横浜市神奈川区青木町は江戸時代に神奈川宿として栄えた宿場町。安藤広重の『東海道五十三次』にも周辺の景色が描かれている。老舗企業が立つのは豊かな歴史的背景のエリアである

やってもみないで『事の成否』を疑うな

ーー三木組の建設現場は「大変きれいだ」という評をよく耳にします。

私も現場パトロールをするのですが、そこで必ず言うのは「現場をきれいにしろ、整理整頓された現場であれ」です。きれいに片づけられた現場では事故も少なくおさえることができます。

ーー建設会社は、現場がメインの仕事のため、ほかの業種にはない社内制度設計が必要です。

「一級建築士」などの資格があっての仕事なので、人事交流が難しい業種と言えるかも知れませんね。うちの場合はいま、営業は現場経験者を配置しています。ですから、お客様から「営業さんではわからないでしょ」と言われても、すぐに応対できるようになっています。

ーー現在、神奈川県の建設業界は活況を呈しています。この先の見通しをお聞かせください。

神奈川県が来年、東京都が再来年、人口減少のフェーズに入ります。横浜では新しいマンションは都心に集中しています。横須賀に土地がありますよといって見向きもされません。去年の暮れから売上げが平らになってきました。新たに若い人がマンションを買うのは大変です。新築はこれから少なくなるでしょう。当社では今年からリフォーム事業を始めました。もちろんリフォーム業者は数多くいます。そのなかでカラーを出してやっていこうと考えています。

三木さんがリーダーの心構えとしてあげたのは、「プロデューサー(所長)はディレクター(現場)にやりたいようにやらせろ、ただおさまりはつけろ」。元テレビマンらしい一言だ

ーー新卒を多く採用されています。人を採用するときに何を見ていますか?

一言で言うと「やる気」です。これは「やってもみないで『事の成否』を疑うな」に由来しています。私が小学校から慶応ということもあって、福沢諭吉先生の言葉からの影響です。面接では一人ずつ1時間くらいかけて徹底的に話を聞きます。そうすると、自分の言葉で発しているかどうかがわかります。自分の言葉を持っている人は長続きします。

――一方、リーダーとしての心構えとはどうあるべきかをお話いただけますでしょうか。

現場の所長にはこう言っています。「プロデューサー(所長)はディレクター(現場)にやりたいようにやらせろ、ただおさまりはつけろ」。プロデューサー業務ができれば建設にまつわる他の大抵の業務はできるようになります。


  • 公共工事激減でも建設業が元気なまち(岩手県紫波町)

    地方の衰退はかつてないほど深刻さを増しています。そんな中、持続可能な地域経営のあり方として「公民連携」の手法を取り入れ、町の負担を最小限にする「稼ぐインフラ」投資により税収を増加、公共事業に依存しない地元建設業の育成につなげた町があります。

執筆者: 加藤陽之 - HANJO HANJO 編集長
コンピュータ関連の出版社からキャリアを始め、カルチャー雑誌などの編集長を歴任。これまで数多くの著名人をインタビューしてきた経験を活かし、HANJO HANJOでは中小企業経営者の深く掘り下げた話を引き出し続ける取材の日々。

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