人口400人の離島が生き残り賭ける「着地型観光」

2018年5月14日
兵庫県南あわじ市の離島「沼島」は淡路島の南東、紀伊水道に浮かぶ周囲約9.53kmの小さな島です。かつては「沼島千軒金の島」と称えられるほど繁栄をみましたが、近年は衰退傾向にあります。そんな中、2007年沼島で始まった交流人口拡大による地域活性化の取り組み。沼島の着地型観光は確実に成果を上げつつあります。小さな島の生き残りを賭けた挑戦を追います。
 兵庫県南あわじ市の離島「沼島」は淡路島の南東、紀伊水道に浮かぶ周囲約9.53kmの小さな島です。主要産業は島民の約8割が従事する漁業で、かつては「沼島千軒金の島」と称えられるほど繁栄をみましたが、近年は漁獲高が減少、魚価の低迷もあり衰退傾向にあります。

 2015年の国勢調査人口は430人、2000年の669人と比べ239人(35%)減少。高齢化率も47.7%と高く、島内には200軒を超す空き家が生まれています。

 そんな中、2007年沼島で始まった交流人口拡大による地域活性化の取り組み。当初、島内では外から人を受け入れることに反発もありましたが、沼島と淡路島を結ぶ唯一の公共交通機関「沼島航路」が利用者減少から将来の航路維持が危ぶまれると島内の危機感は高まりました。そこから10年、沼島の着地型観光は確実に成果を上げつつあります。

 今回はこの小さな島の生き残りを賭けた挑戦を追いました。

地元漁師の船で国生み神話ゆかりの岩礁を周遊する「沼島おのころクルーズ」(画像提供:「沼島総合観光案内所 吉甚」)

「交流しなければ、やっていけない」ーー人口400人の離島で始まった着地型観光への挑戦

 沼島がある南あわじ市は人口4万7千人。神戸市から明石海峡大橋で繋がる島北部の淡路市、中部の洲本市を貫く神戸淡路鳴門自動車道を経由し車で約70分に位置。徳島県とは鳴門の渦潮を眼下に望む大鳴門橋で繋がります。

 市の観光入込客数は明石海峡大橋が開通した1998年度には600万人に迫りましたが、2年後には300万人に半減。以降300万人台で推移しており、平成27年度は303万人、うち257万人(84%)が日帰り客です。

 南あわじ市を含めた淡路島共通の課題は、客の大半を神戸や大阪など関西圏からの日帰り客が占め、その多くが通過型になっていることです。原因の一つは宿泊が見込める東京等、関西圏以外での認知度が低いことが挙げられます。

 そんな中、淡路島観光協会などが島内の宿泊者を増やすため目を向けたのが、京都の高級料亭にも出されている鱧などの食や、古事記や日本書紀に記された国生み神話の舞台でパワースポットでもある魅力的な資源を有す離島、沼島での滞在型の観光でした。

 2007年3月、沼島では郷土史を学ぶ公民館活動から端を発した観光ボランティアガイド「ぬぼこの会」が結成され、島外からの依頼に応えて沼島の観光案内をはじめていました。

 2008年国土交通省神戸運輸監理部は神戸大学と連携、沼島地域をモデルとした観光による地域づくり調査を実施。学官連携で島民有志をサポートする委員会や地元部会を設置、島民主体の地域づくりがスタート。重視したのは1回限りのイベント、一過性のブームではない持続可能な観光の実現を目指すことでした。

 2011年には淡路島が地域活性化総合特区「あわじ環境未来島構想」の指定を受け、沼島で空き民家を活用した地域拠点づくりのための実態調査、国生み神話ゆかり地などを漁船で巡る周遊観光「おのころクルーズ」や漁業見学等、観光漁業の実証事業が行われることになりました。

 こうしたことから2012年、南あわじ市は兵庫県の支援を受け、地域おこし協力隊を活用した「沼島創成プロジェクト」(平成24~28年度)をスタート。2013年6月には空き家を活用した「沼島総合観光案内所 吉甚」を開設。地域おこし協力隊の受入れを開始し、島内ガイドや周遊船の取次ぎを観光案内所が仲介する体制も整備されました。

 これにより2017年度「ぬぼこの会」のガイド利用者は64件830名、「おのころクルーズ」では302件1,250名の利用者を得ました。2003年度115,710人だった沼島航路の利用者数は2013年度には133,949人に増加。この間には沼島と洲本を結ぶ洲本線が利用者の減少により2016年3月末での廃止が決定。2015年度には同便の利用者数が397人となる中、残る「沼島-土生」線の利用者で13万人を突破。交流人口の拡大が航路の維持にも力を与えています。

成功の鍵は3つ、島民主体と官の後押し、外部人材と・・・

 しかし、当然ながらこうした取り組みが何の障害も苦労もなく、スムーズに実現したわけではありません。成功要因は大きく分けて3つ。一つ目はこの活動があくまで「島民主体の活動」であること、そこに「効果的な官の後押し、手助け」があったことです。

 前述したように沼島はかつて非常に栄えた島でした。島の人口は1947(昭和22)年には2900人あり、島内には飲食店も10軒ほどあったといいます。衰退が始まったのは昭和30年代、高度経済成長とともに島から人口が流出、2007年には島民の数は614人にまで減少しました。

 そうした中、「ぬぼこの会」の発足に尽力したのが島の神宮寺の住職、中川さんでした。きっかけとなったのは島から多くの人が出ていく状況の中でも島の人たちがもっと郷土を知り、郷土に誇りを持って貰いたい、そして島の暮らしに欠かせない沼島航路をできれば観光によって守りたいという思いでした。

 当初、島内の観光ガイドは住職一人で行っていましたが、見かけない島外の人間を案内していると、島民からは「どうしてそんな事をするのか」といぶかしがられたこともあったといいます。

 しかし、沼島の資源に目をつけた外部の旅行社等からガイドのニーズもあり、「ぬぼこの会」で多くの人を案内するようになると経済効果もあり徐々に理解が得られるようになったといいます。

 その後、国や県、市などの事業の後押しもあり、沼島における観光開発や受け入れ態勢の整備が進められていったわけですが、こうした事業は国や自治体などにおんぶに抱っこではなく、地域主体の活動のベースがあってこそ成果を挙げられるのです。

 また、そうした事業の中で2つ目の鍵となる「外部人材の登用」、地域おこし協力隊を活用した沼島の地域活動の拠点や地域観光の推進組織の整備もできました。現在、沼島では4名の地域おこし協力隊が沼島に住民票を移し、観光案内所の運営や沼島のPR、観光商品の開発、様々な場面で力を発揮しています。沼島の人口も2018年4月現在463人となり、2015年の国勢調査人口に比べ33人も増加しました。

 3つ目に挙げられるのは活性化には欠かせない「地域のオープン性」です。沼島は一時、衰退した時期に島外の人を受け容れることに消極的でした。しかし、交易が盛んだった江戸時代頃はオープンな気質を持っていたといい、こうした取り組みの中、次第に外の人を受け容れる意識にも変化が生まれているようで、「おのころクルーズ」では島の漁師の約10%に当たる15名が登録しています。

 しかし、一般的には漁業関係者に観光事業への理解を得るということはそう簡単ではありません。全国的にみれば、地域で海や川の資源を観光に活用したいと思っても、漁師や漁協の協力が得られないという話は未だよく耳にします。

 もちろん沼島においてもこれはゴールではなく、あくまでスタートライン。今後、この事業をいかに継続、発展させ、地域観光の自立と発展のスキームを確立するのか。関係する国や県市、広域連携なども含め、更なる成長戦略が求められるところです。

執筆者: 水津陽子 - 地域活性化・まちづくりコンサルタント
合同会社フォーティR&C代表、地域活性化・まちづくりコンサルタント。地域資源活かした地域ブランドづくりや観光振興など、地域活性化・まちづくりに関する講演、企画コンサルティング、執筆を行う。2014年地方創生法に関連し衆議院経済産業委員会に参考人出席。著書に「日本人だけが知らないニッポンの観光地」(日経BP社)などがある。

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