マレーシアの今昔~めざましい経済成長とジレンマ~

2016年12月29日
マレーシアを何度か訪れている。今年は、マレーシアに展開する日本企業の最新動向を見に、首都クアラルンプールを訪れた。最初に訪れたのは20年以上も前のことであり、この間の発展と変貌ぶりは著しいものがある。
 いろいろの機会やきっかけがあって、マレーシアを何度か訪れている。昨年もACSB中小企業研究アジア協議会第三回大会で、ミリ市に行った。ただしここはサラワク州で、ボルネオ島の一角である。

 その一年後、こんどはマレーシアに展開する日本企業の最新動向を見に、首都クアラルンプールなどを訪れた。

 最初に訪れたのはもう20年以上も前のことであり、この間の発展と変貌ぶりは著しいものがある。20年以上前のクアラルンプールは、まだ植民地都市的なおもかげもあったが、いまは高層ビルと高速道路に囲まれ、アジアの成長センターの雰囲気横溢である。市内の交通混雑もすさまじいもので、郊外の高速道路も渋滞が頻繁である。

 統計資料に依れば、マレーシア経済は90年代以降、年間5から10%の高い成長を実現し、いまや1人あたり名目GDPは11,955米ドルと、相当な地位に達している(2014年、JETRO調べ)。マレーシア政府は、「2020年代にはマレーシアを先進国に仲間入りさせる」と意気込んでいる。

 そのめざましい成長ぶりは、前記のように至るところで見ることができる。クアラルンプールの誇りであるKLタワーやツインタワーがそびえ立ち、街をゆく人々の服装も、イスラム教を国教とする国とはいえ、華やかである。日本製品を含め、さまざまな商品が溢れている。クアラルンプールに代わる新首都として建設されたプトラジャヤは車で一時間足らずの距離とはいえ、広大な土地に計画的に築かれた街並み、官庁街が整然と展開する一方、巨大なモスクや湖が観光地にもなり、内外の客が訪れている。

 けれども、詳しく見ていくならば、マレーシアの経済発展におけるさまざまなジレンマの存在は否定できない。このプトラジャヤ自体、隣に築かれたやはり広大なサイーバージャヤとワンセットで、クアラルンプール市と新空港とを結ぶ線上での経済発展と政治・行政の象徴的中心となるはずであった。政府は第7次、8次「マレーシア計画」において、マレーシア経済の成長のエンジンとしての「知識集約型経済」「知的資本」重視を掲げ、「マルチメディアスーパーコリドー」構想を打ち出し、その中心にサイバージャヤ(サイバーシティ)を置いたのである。けれども、いまのサイバージャヤには、そうしたIT産業の世界的中心という華々しいイメージはまだ乏しい。

 マレーシアの経済発展は、典型的な「ASEAN型」とされる。石油や錫鉱石、ゴム、パーム椰子など鉱農産物等に依拠した経済から、市場を開放し、外資を誘致し、その生産力による輸出の展開と雇用機会拡大を軸に、経済を離陸させ、成長軌道に乗せる、これである。

 マレーシア政府は「ルックイースト」の理念で、離陸する経済に重化学工業化の展開を重ね、第二段階としての国内産業への波及拡大と産業構造高度化に取り組んだ。その象徴となったのが、「国民車」メーカープラトン社への支援と、「ベンダーデベロップメントプログラム」によるサプライヤ企業の育成、系列化推進であった。さらに第三段階として、21世紀の世界をリードするIT、知識産業、金融や新サービス業などを掲げ、世界の市場で競争優位を発揮できる産業構造を描いたのである。

 実際、マレーシアにも大きな壁となった1997年のアジア通貨危機の打撃も小さく抑えられ、さらに2005年には変動相場制移行と対ドル為替切り上げも実施し、それでもなお経済成長と貿易黒字は維持され、「模範生」マレーシアの好循環は続くようにも思わせたのである。

 しかしいま、成長は頭打ち気味であり、貿易黒字も減少してきている。直接投資残高も減少傾向にある。そして最大の懸念材料は、成長維持のために公共投資などに多くを投じてきた結果、政府の財政赤字は大きく膨らみ、石油価格下落と相まって、通貨リンギの対ドル安が戻らない。政府は財政立て直しのために、消費税導入、徴税強化、補助金削減などに踏み切らざるを得ず、政治対立も絡んで、政情不安の兆しがある。言うなれば、成長を続けてきた経済が空回りをはじめ、新たな産業の主役が見えないまま、さまざまな輻輳する課題に直面しつつあるのである。

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 離陸の主役であった外資のうちで、国別の投資残高では、日本がシンガポールに次いで第二位、14.6%を占めており、今日も新たな投資が続く一方で、既存企業の撤退転進も目立っている。労働コストなどが上がってきたマレーシアは、生産拠点としての魅力が薄れているというのが共通した見方である。

 東アジアでも、一方にはベトナム、ミャンマーなどの今後の期待される投資先があり、工業化の進んだタイがあり、また巨大な市場を抱える中国がある。インドなど南アジアにも目が行く。特に日本企業にとって見落とせないのは、3100万人というマレーシアの人口規模であり、国内消費市場の限界のみならず、すでに10年以上前から人手不足、労賃の上昇が日系企業の悩みの種となっていた。多数派マレー系人と中国系、インド系などとの民族問題、多宗教のもたらす諸問題、マレー系人優遇の「ブミプトラ政策」の制約なども多年経験されてきたところだが、人件費コストアップ、採用難や「ジョブホッピング」問題などを嘆く日系企業は少なくない。

 政府は10年以上前から、人手不足対応のために外国人労働力導入を図ってきたが、それが定着してきた最近になり、こんどは外国人労働者の雇用抑制に転じ、企業を戸惑わせている。また政府は、最低賃金制度導入、最低定年制施行という政策を進め、これも日系企業などにも悩みの種である。

 こうした状況を見ると、よく言われる「中進国の罠」という言葉を思い起こす。低開発国が低コストを武器に急発展を遂げ、相当の経済水準所得水準を達成できても、さらに先進国の仲間入りをするには大きな壁があり、コストアップや、他の発展途上国との競合が足を引っ張り、また先進国型経済に伍していくだけの工業製品やサービス等での競争力確保、産業構造高度化とイノベーションの実現がすすまず、停滞に陥るとされる。

 近年とりわけ感じるのは、国民所得上昇と欲求の高まりが消費ブームを呼び、輸入拡大を招くことにより、国際収支が悪化し、成長のブレーキとなる危険である。1997年アジア通貨危機の際には、韓国がそのまっただ中に落ち込み、深刻な金融危機と多くの企業破綻を招いた。多年貿易赤字が続いていたのに、ウォンの為替レートは固定されていたので当然の帰結であった。

 前記のように、アジア通貨危機をマレーシアは比較的早期に克服した。緊縮政策や通貨切り下げなしにこれを可能にしたのは奇跡的にも見えたが、一つには工業製品輸出国とはいえ、依然石油やパーム油などの一次産品が輸出を支えたこともある(サラワクには、巨大なパーム椰子のプランテーションが広がっている)。これらは現在も輸出の1/4近くを占めている。

 もちろん、日本などからの資本流入が続いたことも大きい。しかしいまやそうした好条件は後退気味で、石油価格低迷と政府財政の悪化も手伝い、外貨準備は減り、ついにはリンギの為替レートが一時は40%近くも下がるという事態になってしまった。「模範生」の奇跡は10年とは続いていない。これで直接投資が落ち込めば、相当なダメージは避けられない。政府が描いてきたホップステップジャンプのシナリオは実現されるのか気がかりである。

 それでもなお、消費の意欲が高いことは顕著で、前記のように至るところに新車が溢れ、ハイストリートの日本製品などの展示は高い関心を呼んでいる。新商品販売開始を待つ、長い徹夜行列もできていた。もちろんみんなスマホを携帯し、賑やかなことである。その上、新しいコンドミニアムやショッピングセンター、オフィスビルなどの建設ラッシュが続き、特にコンドミニアムの建設には購買希望者をまず募り、それをもとに工事に入るのだそうだから、購買意欲は依然高いことになる。しかし、誰もがこの状況は「バブルだ」とも見ている。いったん循環が崩れだしたら怖い。

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 けれどもまた、現地に展開してきた日系企業の状況を見れば、単なる低コスト生産基地の位置づけを超え、しっかりした経営体制と存立基盤を確保しつつあるようにも思われる(そうでないところは撤退転進してしまった訳なので、当然ではあるが)。

 一つには、日本サイド、中国、東南アジアといった各生産拠点や開発拠点の役割分担が明確になってきていることであり、市場との関係がグローバルな経営体制のなかでしっかり展望されている。マレーシア政府も、「東南アジアでの統括拠点」としてのマレーシア立地を奨励推進している。生産サポート体制が整ってきていることも見落とせない。

 いまひとつは、各企業での現地採用の経営幹部や現場技術者らが確実に育っていることである。こうした人たちは専門的教育を受け、また日本での経験も積み、しっかりと現地の経営を支え、しかも日本的な労使関係と職場のあり方を生かし、新たな開発やカイゼン活動などを大いにすすめている。もちろんいまも「ジョブホッピング」の問題がなくなったわけではないが、日本企業で働くことが当人や家族たちの誇りとなり、高いモーティべーションをもって仕事を担っていることがよくわかる。また、外国人労働者たちも意欲的に現場を支えていることも印象的であった。

 マレーシアは日本のリタイア世代の暮らす場としても注目されているとは、よく聞くところである。それもわかるが、なによりこの20年あまり、現地にあって経営を支え、マレーシアの経済社会に貢献してきた日系企業の関係者の方々のご努力というものには、改めて感銘を受ける。それはもちろん、日本の経済社会のいま、そこにある課題そのものなのだと言わねばならないだろう。

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執筆者: 三井逸友 - 横浜国立大学名誉教授
横浜国立大学名誉教授、嘉悦大学大学院客員教授。慶應義塾大学経済学部 大学院を修了後、駒澤大学、横浜国立大学に勤務。日本中小企業学会の常任理事で、07年から約3年間に渡り同会長を務める。主な著作に『中小企業政策と「中小企業憲章」』『21世紀中小企業の発展過程』がある。

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