地元を救ったヒット商品、卵かけご飯専用醤油「おたまはん」――吉田ふるさと村 画像 地元を救ったヒット商品、卵かけご飯専用醤油「おたまはん」――吉田ふるさと村

インバウンド・地域活性

■普通の第3セクターとは違う

 島根県松江市から車で約1時間くらいのところにある雲南市。数年前まで、ここには吉田村という過疎の地域があった。その村から「おたまはん」という全国的ヒット商品が生まれようとは、誰が想像しただろう。この「おたまはん」は、たまごかけご飯専用の醤油。関東風と関西風の2種類があり、多い時で年間50万本を売るヒットとなった。売り出したのは第3セクターの株式会社吉田ふるさと村だ。

 吉田村は昭和30年代後半の人口5,000人からどんどん過疎化が進んでいた。このままでは地域が存続できない、10年後にはなくなってしまう、そんな危機感が地域全体に漂っていた。そこで立ち上がったのが、バスの運転手や水道メーターの検針をしていた方、歴史博物館の館長をはじめ、当時は広島にいた吉田村出身の高岡氏(現・吉田ふるさと村代表取締役社長)らのメンバーだった。過疎化が進む理由は、そこで生計をたてていくことができない、つまり仕事場がないことが最大の要因であると考えたメンバーは「だったら仕事場を作ってしまおう」と株式会社吉田ふるさと村を作った。「まずは会社を作ることが最優先で、そこから先は自力で頑張る。村から500万円、あと1000万円の資金は村民からの公募で集めることにした。そこらへんからして通常の3セクとは違う」と高岡氏は続ける。公募にしたのは、村民のための会社であり、一緒に運営することによって成り立つという思いからだ。結果は1,000万円を超える2,750万円が集まった(一株5万円で売り出した)。

 スタート時に6人であった従業員も現在では70人に増え、売り上げも年商約4億となっている。業務内容もバス事業、観光事業、農産加工事業、温泉事業などがあるが、メインは地元のもち米で作った商品や焼き肉のタレ、おたまはんなどの食品関係だ。10年後には補助事業にして工場も作ってもらうほどに成長している。事業開始にあたって、特別同社はコンサルタントを雇ったわけではない。現在まで事業を継続できた理由について高岡氏は「突拍子もないアイデアなんてポコポでてくるわけでない。決定的なんてものはなにもない。そうすると継続させていく力そのものが一番大事になってくるので、こつこつ積み上げていくしかない。そういう我慢ができる人がいないと難しい」と話す。

■「おたまはん」誕生のきっかけ

 おたまはん誕生のきっかけは、取引先の鶏卵業者の悩みだった。「卵は物価の優等生と言われ、ずっと価格が変わらないし、なかなか経営も大変だ。1個50円、100円という高価な卵が市場にでてきても、なかなかとぶようには売れない」。その鶏卵業者の悩みを聞いた営業マンは、卵とセットにして売れる商品を考えようと思い立った。

 おたまはんは、従来の商品とはまったく異なる商品だった。餅であれ焼肉のタレであれ、それまでの同社の商品は工夫を凝らして売れてはいたが、市場にすでに存在している商品であり、その延長にすぎなかった。おたまはんはこの流れをガラリと変え、よそが販売していないものを初めて作った商品となった。この試みは会社にとっても新しいことだった。

 なお、卵が売れる商品ということを考えた場合、「オムレツ」をはじめその他の卵料理を考えがちだ。何故、たまごかけご飯専門の醤油か?ということについては、明確にこれだというのはないが、「身近でお手軽」というのがあったかもしれないと話す。「こういう地域に住んでいると、昔はほとんどの家で鶏を飼っていて、朝生んだ卵でご飯を食べていた。(商品を思いついたのは)そういうこともあったと思います」(高岡氏)。しかし、何も専用の醤油である必要はなかったはず。むしろ普通の醤油をかけて食べるケースが多いのではないかとさえ思う。当然社内でも同じ見解はあった。しかし、そのなかに、「鰹節と醤油をかけて食べるとおいしい」という意見もあり、「だったら専用の醤油を作ったらどうか」という意見が挙がっていったという。醤油の質を考えた場合、同社には美味しい醤油の存在があったということも有利に働いた。すでに販売していた焼肉のタレも醤油ベースのものだが、その醤油は同社のためにわざわざ醸造してもらっている商品だった。安心安全をかかげ、添加物を使わないという考えのもと採用していた醤油だ。

 「商品開発は面白く、皆わいわいやりながら作っていった」と高岡氏は振り返る。決して専門家に頼んだのではなく、とにかく作っては食べ作っては食べを繰り返した。基本は、きっとダシ醤油だが何のダシを使って合わせるのか、これまでのお手本がない分苦労した。昆布、椎茸、鰹……試行錯誤のなかで鰹のダシにいきついた。卵の生臭さをなくす上でも役立ったという。

 ただ、すぐには販売という結論には至らなかった。同社の商品の販売量を見た場合、都市部が多く、全体の3割は関東が占める。「東京で売れないとダメ」という鉄則があったが、首都圏の主婦モニターを使って調査をした結果、購入してもいいという人は半分以下だった。同社では何故かと考えたが、原因は醤油の嗜好の違いだった。結果、関西風、関東風に2種類を作り、販売をはじめた。

■さらにブレイクするきっかけ作り

 「おたまはん」が最も盛り上がったのは平成18年くらいだ。同社では、たまごかけご飯をテーマに何かしかけたいと考えていた。それを具現化したのが、たまごかけご飯の魅力を確認する「日本たまごかけご飯シンポジウム」だ。販売を開始して3年後のことである。この計画は地元を中心に小さな注目を集め、ネットで情報が広がり全国的な話題となっていった。

「僕はイベントが嫌いなんです。イベントは一過性で、実現するまでの苦労は大変。やった満足感は一瞬はあるが、お金の面は厳しいし、反省しか残らない」と高岡氏は話す。それでも、シンポジウムをやったのは市町村合併があったからだ。雲南市は平成16年、当時の吉田村をはじめ大原郡大東町、加茂町、木次町、飯石郡三刀屋町、掛合町の6町村が合併して生まれたが、「吉田村は合併する地域のなかでは一番端にあり、人口ももっとも少ない。合併してしまえば決定権もなくなり、お金もなくなる」「つまらん、つまらんという話ばかりがでていた」(高岡氏)。そこで高岡氏は、当時は少し利益がでていたため、その利益を使って皆が元気になることをやろうと考えた。それがシンポジウムだった。中身は学術的な要素も加え、作文、論文、レシピ、食べ方も募集した。当日は、村の人口よりも多い2500人の参加者が集まった。結局これまで毎年開催するほどに成功しているイベントだが(2013年で第9回)、市の腰は重かった。計画書を出してもなかなかOKがでない。仕方なく農林水産省を訪ねたら「面白いね。補助金使ってみないか?」という反応が。結局、県も市も承認せざるを得ない状況になっていった。

 反応は、おたまはんの注文にはねかえってきた。「あれにはびっくりしました」と高岡氏は振り返る。「イベント最終日に終礼をして留守番電話を解除したら、電話がなりっぱなしになったんです。切ったら鳴る、切ったら鳴るの繰り返しです」。会社に電話がつながらないので、農協とか役場とかそれらしいところにも問い合わせが行ったという。それからは倍倍で販売量が増えていった。最高で注文してから手元に届くまで4ヵ月待ちという状態の時もあったという。

 同社が販売する商品にはユーザーの反応を見るための返信ハガキが入っている。普通は商品の味や価格のことが中心になるが、おたまはんのハガキはちょっと様子が違う。自由欄に、卵かけご飯に関する思い出を書く人が多い。しかも、欄内に書ききれず、封書で送ってくる人もいる。高岡氏は、この状態を見たとき、卵かけごはんはソウルフードだと思ったと話す。

 現在は、すぐに儲けを生みにくい観光を手掛けている。人を雇用し、補助金も使いながら交流人口の拡大を図っていく。最終的は交流だけではなく、地域の定着にもっていきたい計画だ。

 今では地域の成功例として講演を行う機会もあるという高岡氏。「規模は小さくても自立してやっていける。我々のようなケースを増やしていきたい」「大切なのもののひとつは“人”だ。いろんなタイミングでひっぱっていく人が必要になってくる。また、それに向かって協力する体制が作れることが重要だ」と話してくれた。

【連載・視点】地域の危機を救った卵かけご飯醤油「おたまはん」

《RBB TODAY》

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